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海外赴任帯同者向け[英語生活の現実とアドバイス]


この記事では、アデュールの講師の1人がかつてまだ英語が得意でない頃に、海外赴任帯同者としてアメリカに滞在していた経験から学んだ英語生活の現実や、アドバイスをご紹介します。

1. 自己紹介

私は、息子が2歳になる直前で家族でアメリカ中西部に行くことになりました。

子供と一緒に行くのはさぞかし大変だろう、と不安に思うものではないかと思いますが、結果的に子供がいることで活動の幅は広がり、充実した時間を過ごせたと思います。また英語の上達にも大きなプラスでした。

もちろん、苦労したこともありました。
日本を発つ前から、トラブルはあるものと思え!とアドバイスは受けていましたが、実際にこれでもかというくらいに各所でトラブルや不備に遭遇し、またトラブル対応のマニュアル自体を持ち合わせていないのだろう、と推測される対応の数々に多々苦労したりもしました。

また、安全面ではいまだ白人至上主義の団体KKKが活動中の中西部での生活に際し、危機管理に細心の注意をはらったり、と日本ではない緊張感を味わったりもしました。

ただ、そのようなことはアメリカで得た宝物のような経験と比べたら取るに足らないことです。2年間のアメリカ生活は今思い返しても鮮やかに思い出される大事な思い出となりました。

2. 子供を預ける保育所

アメリカでは、私は珍しい形態の保育所に子供を預けていました。
Co-operative Daycareといって、十数家族で協力して保育園を自主運営しながら自分の子供たちを預けるというところで、その時の全員で毎月ミーティングを開いて、どのような教育方針にするのか、どのような活動をするか、またどのような人を雇ってどのようなおもちゃや本を買うのかなど決定し、雇ったアシスタントと共に親もシフトの分担を担い、保育園を運営していくというものです。

お布団の洗濯や食堂の掃除なども全て自分たちでやらないといけないですし、各家庭の希望を最大限に叶えられる点がメリットである反面、全家庭の希望に沿えるように運営するので保育側の負担も相当のものでしたが、とてもよい経験となりました。

3. 1~2歳児の英語習得能力

息子は活発な性格だったのですが、言葉は遅くて、1歳11か月でアメリカに渡った時には、同年齢の周りの子供に比してあまり文章を云わず、シンプルな言葉が中心だったため、そこに英語まで加わってはどうなってしまうのだろう、とやや不安でした。

実際に保育園に通いだしてしばらくして、気のせいか日本語も英語も発話量はさらに減り、幼いながら混乱して困っているのではないか、と危惧したこともありました。

ただ、保育園も子供を保育中に話しかけないまま少しでも沈黙状態でいると、職務怠慢とみなすところだったので、英語に触れられた密度も濃かったのだと思います。ほぼだまって聞く一方だった息子も数か月たつと、まずは英語、そして日本語も突然しっかりとした文章でしゃべるようになりました。

ちなみにアメリカで幼いころに育ったのが影響したのか、息子は日本の男性とは思えないような怒涛のおしゃべりをする性格になりました。

これから海外転居を予定されている方は、お子様の事について、気をもむこともあるかと思いますが、成長曲線はそれぞれですし、元来会話大好きなアメリカ社会の中で子供の吸収力をもってすればおそるるに足りないと感じます。

実際、帰国する頃にはスイッチをオンにしないとリスニングモードにならなかった私と違って、息子は、突然の会話やゆきずりの会話も全て自然と拾えていて、息子が身につけたものは自分とは根本的に違うものなのを感じました。

4. 子供のいる環境で増える英語上達チャンス

私は保育所の外国人の子供たちから英語を学んだと思っています。
身の回りのものでも英語でよく分からないものもあったりしたのですが、子供たちに聞いたりすると皆それこそ一生懸命教えてくれました。

アメリカ人の大人も、知らないふりをして子供たちに尋ねたりする、というテクニックを使うことはよくあるのですが、私の場合本当に分かってないということを子供は勘づくようで、先生ごっこではなく本当に先生的存在になれる機会は特別なのか、いつの間にか私は人気者でした。「お母さんは教えてくれなかったの?」と憐れまれたりしたこともありますが、、、。

ただ、子供たちとたどたどしいながら一生懸命日々会話していたことが、おそらく私の英語力のトレーニングや進歩に大きな助けとなりました。

私は家庭では子供が本を開いたら絶対に邪魔をしない、がポリシーだったのですが、息子の保育園では子供が本を開いてるのに刺激を与えに行かないのはもってのほか、という方針で、息子は、絵本を上手に読めるように随分練習する中で、気持ちも英語にのせることができるようになったのでは、と思っています。

また、保育の折には0歳児や1歳児には基本的にごはん中でも歌を歌ってあげまくる感じで、私も歌えるようにと歌詞を見ずに数十曲を歌えるようになるまでこれまた相当な苦労をして特訓しました。ただ、これもまた結果的にリズム感を体得するのに役に立ったことに後で気付きました。

最初の頃は保護者の方々とのエピソード交換でも、保育園で何か私の息子がとても可愛いことをしたらしい、という導入部分しかわからず実際の内容はリスニング力の欠如で分からず、悔しい思いをしたりもしましたし、自分で伝えたい内容や気持ちのニュアンスがちゃんと表現できているのか全く自信が持てずに落ち込んだりしたこともありました。結局、少しずつ積み重ねていれば時間が解決するということなのだと思います。

5. あいさつの効能

私自身は、日本ではよほど仲の良い友達に遭わない限り、“おはようございます”や“お久しぶりです”の後に“元気にお過ごしですか?”とか“調子はいかがですか?”など滅多に聞くことはありませんでした。

アメリカへ行ってからも、あまり質問して怒涛のようにしゃべられて理解できなかったり上手く対応できなかったりしたらどうしようという不安の気持ちも相まって、まずは明るく挨拶することだけに集中し、自分から“How are you?”などと尋ねる覚悟が決まるまでに数か月を要したのを覚えています。相手から”How are you?“と尋ねられても中学一年の教科書で習った通りに”I‘m fine. Thank you. And you?”とシンプルに答えていました。

ところがある日、その教科書やラジオ英会話で再三練習し、当時の私にとって完璧な受け答えともいえる返事に対し、フレンドリーなアメリカ人が以下のように返してきたのです:

Fine? Is something wrong? Talk to me, dear.
(Fine..?! どうしたの?何かあったなら私で良ければ話を聞くよ)

確かに、Fineという言葉は、お店などでも「ちょっと汚れてるけどそれで大丈夫よ」みたいなあまり良いとは言えない状況の時によく使われる言葉であることにその時はじめて思い至り、慌てて本当に普通に元気である旨を伝えようとしました。

その方はいつも短くても”Goood!”とか“Great!”と満面の笑みで答えてくれることに気付き、先ずは私も真似をしはじめました。

そして思い切って最初から“Good morning! How are you?”と自分から尋ね、少しずつでしたが聞かれたら自分の気分を明るくしてくれている要素や予定、出来事にも触れてみました。

するとどうでしょう?嘘みたいに向こうの方々と自然な距離感を感じることができ、親近感をもってくれるのも感じることができました。ちゃんと挨拶をするようになった人たちはよく話しかけてくれるようになり、ミニトーク付きの挨拶をして初めて“一人前の知り合い”の立場になれるのかな、と思ったりもしました。

これからアメリカに引っ越すという予定の方は、是非、固くならずにアメリカらしい挨拶に飛び込んでみるときっと新しい世界が開けることでしょう。

6. 運転中の英会話の難しさ

だんだんとアメリカでの生活にも馴染み、言葉が分からなくて苦労することも減り、友人とも親しくなってきた頃、車で2時間ほどのところにある大きな動物園に子供たちを一緒に連れて行こうと誘われました。グアテマラ出身の気さくな人で、私はそれはいい案だ、と出かけることになりました。

事情があって、行きは彼女とその息子を乗せて私が運転していくことになったのですが、いつもの走り慣れた町なかを出て、高速道路に乗った途端、あることに気付きました。

いつも全神経を集中させることで相手の英語を理解したり話したりできていたけれど、高速道路での非日常の緊張感と他の道路状況への気配りの中では英語はいつもの半分しか頭に入らないし、相づち以外の発話はほぼできなかったのです。

パニックになりそうになりながら、聞き役に回る事に徹し、それでも最後は運転中につき複雑な英語をしゃべれない能力不足を白状することになりました。

同様のことがいつも保育園の中や路上で話している時にはスムーズだったのに、カフェに誘われて出かけた時には、BGMや隣の人の入り混じる会話の中で相手の言ってることが理解できず焦ったこともありました。

あらかじめ予想できれば、静かめの店や席を選ぶこともできたので、お役に立てればと書いてみました。さらに英語に慣れていけばそんな時代があったことも嘘のようになっていくので、これから海外生活に挑戦する方は、めげずにどんどんチャレンジしていってほしいなと思います。

7. ユーモアの大事さ

前述の息子の保育所では、当然参加家族の関係は濃くなり、またその個性は大きく運営の質に関わってくるので、新しく入る際には全家族での面接審査がありました。

もともとインターナショナルをうたっていた保育所でしたが、英語で引けをとる日本人の家族が受け入れられるものなのか、大きく不安を抱えながら私は面接に臨みました。

英語ネイティブではない家族を入れてコミュニケーションに多少苦労をしたとしても、他の文化圏の家族を入れようとするのは、多様なアメリカ社会で生きてくことになる子供たちを国際色あふれる環境で保育したいという考えがあってのことなのでしょう。

それでも、シビアな家族からは、“あなたたち家族からこの保育所が得られる恩恵は何かと思うか?“と単刀直入に聞かれました。

私は「東洋には東洋の智慧があります。私はそれをとても誇りに思っている。役に立てば嬉しい。でも、まずは生け花をやっているので季節の花を飾ってあげられますよ。」とちょっと茶目っ気つきで答えました。

沢山他にも聞かれたのですが、のちにこれ(後半部分)が承認の決め手だったと知りました。
私は関東出身だからなのか、人に対する評価基準にユーモアがあるかどうか、というのはありませんでしたが、その後私が審査する側になった面接でもユーモアがあったかどうか、について毎回複数人が評価基準にしていて、正直驚きました。

なるべくユーモアの心を忘れないことが溶け込む大きな一歩になるようです。

余談ですが、日本の義理人情と違い、アメリカはギブアンドテイクが原則の社会なのだろうと肝に銘じなければと、面接時には思いましたが、義理人情という枠ではないけれど、クリスチャン精神のようなものが根強く、あまりギブアンドテイクと思っている人は少ないのだな、と後日認識をあらためました。

8. 発音が相手に伝わらない時

やはり日本人の発音はネイティブとは違い、伝わらないことも時々ありました。
そんな時、伝わらなかったからと、日本語でゆっくり話す時のように、のっぺり一文字ずつゆっくり発音してもほとんど伝達成功確率は上がらない、ということに途中で気づきました。

私の住んでいた通りは、まだできたばかりでちょっとアップデートされていない地図を持っている人は知らない地名でした。これがまた日本人が苦手とするwやthの音が入り、和製英語っぽくなってしまうtoneが含まれていたために、私の発音で一発で分かってくれる人の方が最初の頃は少ない有様でした。

しかし、相手の復唱の仕方を聞くうちに、ゆっくりではなく、大きな声でアクセントの位置を明確にして最後の子音を伝えきると確率が高くなることを学びました。

今にして思うと大きな声かどうかではなくて、息の圧なのだろうと思いますが、当時は闇雲にお腹から声を出して大きな声で、と努めていました。

9. 子供の風邪

日本にいたら、少しずつ免疫がついて、外に出ても稀にしか風邪をひいたり熱を出したりしないというのが一般的ではないかと思うのですが、アメリカのウイルスには対応しきれないのか、最初の一年は驚くほど息子のみならず私たち親も何回も熱を出したり風邪を引いたりしました。

単なる風邪でも相当の熱が出ることが多く、毎回心配したりもしましたが、向こうの市販薬はよく効き対応しやすくもありました。

病院に連れていくこともありましたが、言葉や専門用語がよくわからない人に対する応対は看護師も医師も慣れていて、意思疎通が不十分だったと思ったことは一度もありませんでした。

10. 先輩日本人への感謝と学び

アメリカという文化の異なる社会で生活するにあたって差別されないか、とか馴染めないのでは、と不安に思う方もいるかもしれません。もちろん、そういった排他的な目で見る人もいないと言ったら嘘になります。

しかし、全体として、日本人に対して独特の敬意を持っている人が決して少なくないということは嬉しい発見でした。

日本人は忍耐強く公平だ、とか感情的にならず平静心を忘れないといった印象のようでした。優しそうに見えても武術ができたり特技があったりする、とかこだわりがあって努力を惜しまないところがある、というのも一般的な捉え方のようで日本人に対する評価は高いと感じる事が多かったです。それもこれも日系アメリカ人をはじめ、これまでアメリカで生活してきた先輩方の努力のたまものなのだろうと思います。

向こうでアメリカ人としっかり付き合おうと思った時に、アメリカ人っぽくあろうとするのではなく、誰よりも立派な日本人であることの方がよほどうまくいく選択だということも実感しました。これは多様な文化で構成されているからこそなのかもしれませんが、日本人として恥ずかしくないことをしっかりやることが第一歩のように思います。

保育所にはアイルランド系、ユダヤ系、アフリカ系、メキシコ系のアメリカ人がいましたが、みなそれぞれ足場が違うのを感じましたし、ザ・アメリカ人など所詮いなくて、アメリカ人っぽく振舞うよりもどんな文化であろうと、お互い受け入れ合う覚悟があるかどうか、がポイントなのだろうと痛感しました。

余談ですが、毎月のミーティングでどの家族も恐ろしく自己主張が激しく、要求レベルも高かったのですが、私は日本人らしく皆の希望は叶える努力をしつつ、主張は慎ましやかに過ごしていました。

特に努力したわけではなく、日本人の感覚では主張してる方ではないか、くらいのレベルだったのですが、周りにとっては私は寛容で忍耐強く過ごしていると映ったようで、1年ほどしたころ、私はこれは譲れないと思って少し強めに反対意見を言ったことがありました。

すると今まで譲ってくれてたんだから、ここは私たちの番だから、とスッと私の望む通りに誰も異を唱えずに決まり、ひどく驚いたのを覚えています。

それまで、押しの強い人たちに囲まれて時に辟易としたり、不公平ではなかろうか、と思ったりして愚痴をこぼしたくなったりしたこともあったのですが、これが彼らのバランスのとり方なんだな、と興味深く思いました。

11. おまけ:私のアメリカ満喫談

私がいたアメリカ中西部は、各地に広大な自然が広がっていて、都市部より自然が好きだった私たちは、ドライブ旅行をしながらダイナミックな景色を楽しんだり、国立公園や自然保護公園のトレイルを歩いたりして長期休暇を過ごして楽しみました。

ドライブ旅行は気楽に行けて、結局アラスカ州ハワイ州を除くすべての州を車で旅行して回り、それぞれの州には大きな特色の違いがあり、アメリカ広し、と実感したりもしました。

また、各地で驚くほどたくさんの種類の色とりどりで可憐な鳥たちがいて、すっかりバードウォッチングにはまり、多くの心温かいバードウォッチャーたちとの時間も楽しみました。

アメリカの南部料理にこだわった友人やキルトづくりを始めた友人もいて、他にもいろいろなチャンスがあるかなと思います。

物も非常に安く、私はクラフトが好きだったので、その方面の店にはよく遊びに行きましたが、なんでも求めやすい価格で巨大なセットが売られていて、ワクワクしました。

ささやかなことですが、子供の頃に乗りたかったけど滅多に乗らなかったデパートの屋上などにある数百円いれると動く自動車や動物の乗り物などが、スーパーなどの隅に約1円で動く値段設定で回数制限なく乗れてお得感いっぱいでした。

室内装飾も向こうは盛んなので、お手頃に可愛いものがいっぱい店に並んでいて、季節のデコレーションも楽しいイベントでした。私の満喫談を書き始めたらきりがないのでこれくらいにしますが、大いにアメリカ生活を満喫しました。


いかがでしたでしょうか?

海外赴任帯同者にとって、出発までは不安が沢山だと思いますが、ご紹介した通り、楽しい刺激的な経験も沢山待っているはずです。

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